乗り物の電動化と聞くとEV(電気自動車)を思い浮かべますが、いまやその波は海や空の乗り物にも広がり、世界でも急速に進んでいます。そうした中、今年世界で初めてのピュアバッテリー電気推進(EV)タンカー「あさひ」が東京湾内で運航を開始しました。このプロジェクトに携わった3社の担当者に、そのEVタンカーで目指したことや給電設備の開発秘話をうかがいました。
【今回の取材でお話を聞いた方】
澤田真さん(旭タンカー 経営企画部)
旭タンカーでEV船プロジェクトリーダーを務める。タンカーの電動化では、海運業界としての脱炭素化と乗組員の労働環境の改善を目指した。
齋藤勝利さん(東光高岳 イノベーション推進部)
EVタンカーに電気を供給する給電設備に関する受電設備、ケーブルマネジメントシステム、コネクタなどの、開発と工事を担当。
天澤敬太さん(東京電力エナジーパートナー 法人営業部)
東光高岳と一緒に給電設備の構築検討を行い、EVタンカーへの電気供給(再生可能エネルギーのご提案など)を担当。
※プロフィールの所属部署はプロジェクト当時のものを記載しております。
世界初EVタンカーがもたらす海運業界への新たな可能性
2022年春、大容量リチウムイオン電池を動力源としたピュアバッテリー電気推進タンカー(以下、EVタンカー)「あさひ」が建造され、大きな話題を呼びました。
バッテリー動力100%で、電気の力だけで動くタンカーは世界初。特筆すべきは、タンカーの動力源となるリチウムイオン電池で、容量は3480kWhと一般的なEVの約100台分に相当すると言います。もちろん、エンジンがないため従来の船と比べるとメンテナンスも数段に簡便です。
そんな前例のないEVタンカー「あさひ」のプロジェクトは、商船三井グループ・旭タンカーのアイデアがきっかけでした。そこに、EVタンカーを給電するための設備開発として、東京電力エナジーパートナー(EP)と東光高岳が参画。このほかにも多くの企業が開発に関わり、世界初のプロジェクトへの挑戦が始まりました。
そもそも、旭タンカーはなぜ船の電動化に踏み切ったのでしょうか。海運業界を取り巻く環境問題への意識とともに、電動化に着目した背景に迫ります。
環境意識や労働環境…。EVタンカーが解決する複数の課題とは
はじめに、EVタンカー導入の一番の目的は何だったのでしょうか。
澤田さん(旭タンカー)「自動車業界と同じで、海運業界においても脱炭素化の社会的実現に向けた取り組みが求められていました。そこで、内航海運(※1)では従来の重油からLNG(液化天然ガス)などの別の燃料を使う方法に発想がシフトし始めたのですが、そうした特殊な燃料を扱うためには船の乗組員たちにも高いレベルの技術が必要です。
しかし、船を電動化すれば、給電の際にコネクタを接続する作業を行うだけで、特別な資格はいりません。それによってゼロエミッションを達成できるのなら、現状の技術で脱炭素化にも貢献でき、非常にいい選択肢だと思いました」
※1:国内の港から港へ、船で貨物を運ぶこと
きっかけは脱炭素化に向けた取り組みだったものの、タンカーの電動化は乗組員たちの労働環境の改善にもつながる可能性を秘めていると、澤田さんは言います。
澤田さん(旭タンカー)「昨今、内航海運は乗組員不足や乗組員の高齢化といった構造的な問題に直面しています。現場労働者の平均年齢は50歳台半ばと高く、仮に若い人が働き始めても、なかなか長続きしません。
船の中の生活というのはどこにいても常に振動していますし、キャビンなどの居住環境も、若い人が魅力を感じる職場とはとても言いがたい雰囲気です。一方、EVもそうですが、EV船というのは振動がほとんどなく、燃料に重油を使わないため船内の臭いもありません。
このような船を日本で導入すれば、若い人が働きたくなるような魅力的な職場をつくることができるのではないかと思いました。船内の居住環境もよくなり、乗組員の働き方も変わっていくに違いない…。こうした思いが、このプロジェクトを始動する大きなきっかけになりました」
澤田さんがそう言うように、脱炭素化という環境性能だけでなく、船内の快適さはもはや従来の貨物船とは別世界の領域。操舵室から船員室までのエリアが吹き抜けになった船内は、開放感があり明るい印象を受けます。取材当日も、乗組員たちがこのリビングに集まりくつろいでいる姿が見られました。
単に先進的なだけではなく、そこで働く人々のストレスをいかに軽減するかといった点まで考え尽くされているのが、世界初のEVタンカーのポイントと言えるでしょう。
開発に前例なし。ゼロベースでEVの充電設備を考案
さて、EVタンカーにはバッテリー容量3480kWhのリチウムイオン電池(EV約100台分)を搭載されていると前述しましたが、その給電設備はどのような技術や設計によって生まれたのでしょうか。タンカーに電気を供給する設備の開発や供給電力の確保を担当したのが、東光高岳の齋藤さんと東京電力EPの天澤さんです。
EVタンカーに電気を供給する給電設備は、「あさひ」が接岸されている場所に設置されています。見たことのないような大きなコネクタと太いケーブルを接続し給電を行うとのことですが、これはEVの充電スタンドと同じ仕組みなのでしょうか。
齋藤さん(東光高岳)「コネクタを差し込んで充電がスタートするという意味では同じです。しかし、船の充電設備は前例がなく、どのような機構や工程で充電を行い、制御すべきなのかもわかりませんでした。また、苦労したのがコネクタやケーブルの選定でした。
『あさひ』は湾内に停泊する船舶に重油を運ぶので、朝に出港し、夕方に帰港します。充電するのは夕方から翌朝までの時間帯に限られます。3480kWhの大容量バッテリーを9時間程度で充電しなければならないので、それを実現するには大電流用の大きなコネクタや太いケーブルが必要です。ところが、そのコネクタ自体が日本にはなかったのです」
コネクタやケーブルの選定から設計まで、さまざまな企業と交渉を重ね試行錯誤してつくった給電設備。その開発は、苦労の連続だったと3人は語ります。
天澤さん(東京電力EP)「単に船に電気を送ればそれで終わりというわけではないのです。充電中には大電流が流れるため、万が一、充電中にコネクタが外れてしまった場合でも、充電が安全に停止することが重要となります。そのような観点からコネクタの採用や受電設備の構築にあたりました。給電設備の構築検討に際しては、旭タンカーさん、造船所さん、川崎重工業さん(※2)、川崎市さん(※3)など、複数の関係者と細かくすり合わせを行いました」
※2:EVタンカーの充電設備や電気推進システムなどを構築するシステムインテグレータ。
※3:給電設備が設置されたバースを所有・管理している。
澤田さん(旭タンカー)「私たちは実証実験を行なっているのではなく、事業として船を開発しています。このEVタンカーをきちんとした船に仕上げるために、ほかの船の何倍の労力を注いだんだろうというくらい注力しました。通常は造船所にお任せし、仕様もお願いするのですが、今回のプロジェクトは従来とはまったく違い、ゼロから自分たちで考えて設計しました」
さらに、澤田さんによると、「あさひ」は災害時に船から陸上へ電気を供給するシステムを搭載していると言います。地震などにより沿岸部の送電インフラが寸断されても、海上から電気の供給が可能になるとすれば、EVタンカーの活用法も広がっていくことでしょう。
EV化で変わる海運業界の未来
幾多の困難を乗り越えて完成した世界初のEVタンカーは、ご覧のとおりの素晴らしい完成度です。エクステリアを見ても、歌舞伎の隈取りを思わせるポップなカラーリングが施され、従来の船とまるでイメージが異なります。
また、注目すべきは旭タンカーの澤田さんがこだわったと言う、宇宙船のような操縦室。多くの船と同じように「あさひ」の操舵室もブリッジと呼ばれる最上階にありますが、機器類のレイアウトやデザインなどは、ほかの船とまったく違います。
通常のタンカーは、航海計器や機器類、警報類が進行方向に向かって一列に並び、ボタンやスイッチが多く、お世辞にも先進的とは言いがたいものがあります。しかし、「あさひ」は中央に大きな椅子があり、その周囲を取り囲むように複数のモニターが配置されています。バッテリーの消費状況やレーダーの情報、プロペラの動きなどがすべて視覚でわかるように工夫されているのです。
澤田さん(旭タンカー)「これは車で言うと、高級EVのテスラが生み出したトレンドと同じです。テスラもインパネに大型モニターを設置してボタン類を取り除き、そのモニターでバッテリーの消費状況などをひと目で確認できるようにしました」
ゼロエミッションによる環境への貢献、海運業界の労働環境問題の解決、そして災害時の陸上への電力供給まで…。世界初のEVタンカーに寄せられる期待は大きく、今後は日本国内でも船の電動化が進んでいきそうです。