EV100年史〜東京電力とEVの歩み〜

電気自動車(EV)の100年史

電気自動車(EV)は、今後本格的な普及が期待されている車です。「未来」「先進的」といったイメージを抱く方が多いかもしれません。しかし、その起源は19世紀後半にさかのぼり、エンジン車よりも早く登場していたのです。そうしたなかで、20世紀初頭に日本でいち早くEVの研究に取り組んだのが東京電力でした。100年以上の長きに及ぶ東京電力とEVの歩みを紹介します。

 

EV充電設備

 

1908〜1917年「夜明けの時代」

電気自動車(EV)の歴史

馬車が主流の時代に誕生したEV

充電式電池を搭載した最初の本格的なEVが登場したのは、1881年にパリで開催された電気博覧会でした。ドイツの車メーカーが世界初のガソリン車を開発したのはその4年後です。EVは、まだ馬車が移動手段の主流だった時代に誕生したのです。

それから四半世紀余りが過ぎた1908年、東京電力の前身である「東京電燈」が日本で初めてEVを購入し、車両を分解して調査を行います。これがEVに対する日本初の技術的アプローチとなりました。日本における「EVの夜明け」はいつだったのかと問うなら、それはこの年、1908年になるかもしれません。3年後の1911年には、東京電燈の調査結果をもとにし、大倉財閥系の日本自動車が日本初のEVを試作したとの記録が残っています。

初期EVの課題をクリアした天才科学者

当初のEVは鉛のバッテリーを使用していたため、「重量が重い」「走行できる持続時間が短い」「充電に時間がかかる」など多くの課題がありました。

しかし、1909年にトーマス・エジソンがアルカリバッテリーを発明したことで、EVの実用性は一気に高まりました。アルカリバッテリーは鉛バッテリーよりも軽量で、持続時間も2倍に伸びたからです。

それによりEVは、騒音が少なく排気ガスも出さない新しい乗り物として、欧米で女性の人気を集めます。黎明期だったこの時代、EVはガソリン車と覇権を争っていたわけです。

 

EV充電設備

 

1934年~1970年「隆盛・苦難の時代」

電気自動車(EV)の歴史

戦後、日本最初の市販車「たま号」が登場

昭和に入ると、日本でもEVの開発が活発になります。戦時中や戦後の混乱でガソリンが統制され、ガソリン不足に陥ったためです。当時おもに作られていたのは木炭自動車でしたが、各地でメーカーが参入し、さまざまなEVが生産されることになりました。

そのなかで、もっとも多くのEVを生産したのが「東京電気自動車」です。東京電気自動車は、飛行機の製造ができなくなった立川飛行場の技術者有志が1947年に設立した会社です。最初の市販車は「たま号」と名付けられ、それがのちの社名「たま電気自動車」となりました。1949年には年間400台を生産したそうです。ちなみに、当時の日本のEV普及台数は3299台、これは全自動車保有台数の約3%にあたりました。

1950年代に停滞…しかし環境問題から開発が活発に

しかし、1950年代になると朝鮮戦争勃発によって鉛が軍需物資に指定され、バッテリーが容易に入手できなくなります。また、ガソリンの統制が解除されたことで、ガソリン車に対してEVが持っていた優位性も失われました。1955年には道路運送車両法から「電気自動車」の項目が削除され、街頭からも姿を消してしまうのです。

再びEVの研究・開発が活発に行われるようになるのは、高度経済成長にともなう日本国内の大気汚染が1965年から深刻化し、大きな問題になってからのことでした。

1971~1997年「高性能化の時代」

電気自動車(EV)の歴史

EVが注目されるが、性能の課題が浮き彫りに

戦後の復興から東京オリンピックを経て、日本は経済大国への道を歩み始めます。この高度経済成長時代に社会問題になったのが大気汚染とオイルショックでした。

このとき、環境問題とエネルギー問題を解決するために注目されたのがEVです。東京電力では1971年から三菱自動車の「ミニカバンEV」10台を営業所のサービスカーや発電所・変電所の巡視車両として利用しました。EVは環境性能に優れているのはもちろん、エネルギーの有効利用、夜間充電による電力の負荷平準化の効果も期待できたからです。

しかし、当時のEVは、最高時速80km/h、1回の充電で走行できる距離は70km(30km/h定速走行の場合)と、その性能はガソリン車に遠く及ばないものでした。とくに走行距離の短さはドライバーに利用をためらわせる大きな問題となります。長距離を走るためには、もっと軽くてエネルギー密度の高いバッテリーを搭載する必要がありました。

画期的な進化を遂げた3台のEV

こうしてEVの高性能化を目指す研究開発が改めてスタートしました。高性能化時代の幕開けです。この取り組みは1990年代に3台のEVとなって実を結びました。

[1991年]ランサーバンEV

[1991年]ランサーバンEV

そのうちの1台が、1991年に三菱自動車と東京電力が共同開発した高性能電池を搭載する「ランサーバンEV」です。

EVはバッテリーの電気を動力に変えるためのモーターを搭載しています。EVの高性能化には、バッテリーの高性能化とともに、電気エネルギーを無駄なく使うためのモーターの進化も重要な要素になります。さらに、EV用のモーターは家庭用のモーターと異なり、瞬間的に大きく回転数を変化させて力を取り出せることや小型軽量であることが大切です。

そこで、「ランサーバンEV」の開発では、ラジコンカーと同様に電池で動く直流モーター車と、家庭のコンセント電源と同じ交流で動かす交流モーター車の2台が作られました。走行性能を検証した結果、直流モーターよりも交流モーターのほうがEVに適していることがわかり、この技術はのちの「リベロEV」という車種に継承されることになります。

前述したように、モーターは通常「電気」を「動力」に変換して車を走行させます。しかし、ブレーキを踏んだりアクセルをオフにしたりするときは、逆に運動エネルギーを電気に変えることによってバッテリーに貯める仕組みが可能です。現在のEVやプラグインハイブリッド車(PHV・PHEV)は、このように回収したエネルギーを再利用することで走行距離を伸ばしています。

[1991年]IZA

[1991年]IZA

2台目は、やはり1991年に東京R&Dや明電舎と東京電力が共同開発した「IZA」です。このクルマは「EVの限界性能にチャレンジする」「EVのイメージアップを図る」という目的のもとで開発が進められました。その結果、「IZA」は最高速度176km/h、1回の充電での走行距離約550kmという当時のEVとしては驚くべき走行性能を実現したのです。

それを可能にしたのは「インホイールモータ」と呼ばれるEVならではの革新的な技術でした。インホイールモータは車輪ごとにモーターを分けてホイールに取りつけ、タイヤを直接回転させるため、タイヤの動きをそれぞれ変える柔軟な運転が可能になります。

また、インホイールモータは車両本体にモーターを搭載しないので、車体デザインの自由度も高まります。それによってオリジナリティに溢れた魅力的なデザインを追求することができたのです。「IZA」の流麗で未来的なスタイリングは大きな注目を集めました。

[1993年]リベロEV

[1993年]リベロEV

そして、3台目が1993年に三菱自動車と東京電力が共同開発した「リベロEV」です。このEVの開発では、東京電力が1970年代から利用してきた「ミニカバンEV」に対する性能分析や利用者の意見を大きく取り入れ、さらに「ランサーバンEV」の評価試験も踏まえて課題解決に取り組みました。その結果、走行性能だけでなく、運転時の快適性も向上したのです。

「リベロEV」は28台が東京電力の事業所に配車され、サービス業務や電力施設の保守・点検といった日常業務に使用しながら、性能面や充電システムのあり方の検証を行いました。

そして、東京電力とEVの歩みは、いよいよ2000年代へと入っていきます。

 

EV充電設備

 

2005~2020年「利便性追求の時代」

電気自動車(EV)の歴史

バッテリー・充電の開発で実用化EVが続々と

1980年代後半から1990年代にかけて地球温暖化問題がグローバルな課題になり、日本でも新たなエネルギーを開発するための取り組みが本格化し始めました。その新エネルギーこそ、太陽光、風力、地熱などの環境負荷の少ない再生可能エネルギーです。

再生可能エネルギーによる電力が普及していくに従い、「電気の貯蔵」に注目が集まり、期待が寄せられるようになります。EVについても、バッテリーを活用して環境にやさしい電気を蓄えたり、夜間電力を有効活用したりと、個々の車に「いつでも取り出せる電気」を搭載するなど、電気の使い方のバリエーションが大きく広がり始めました。

[2005年]スバルR1e

[2005年]スバルR1e

こうしたなかで、東京電力が富士重工業と2005年に共同開発したのが「スバルR1e」です。最大の特徴は「10年、約24万km」の使用に耐える長寿命のリチウムイオンバッテリーを搭載し、さらにわずか15分で約80%の充電ができる急速充電を可能にしたことです。この急速充電器は、東京電力が長年培ってきた充電技術を活かして開発を行ったものです。また、業務用車両として活用し、実フィールドにおいて性能や経済性の検証を行いました。

[2009年]i MiEV

[2009年]i MiEV

2008年には三菱自動車の「i MiEV」の実用性評価を開始します。これはガソリンエンジンの軽自動車「i」の車体をもとにEV化が行われたモデルです。東京電力の事業所で走行実験を行い、その結果を踏まえて市販化を目指す改良型の試験車両が開発されました。

この試験車両はエネルギー密度の高いリチウムイオン電池の開発によって、航続距離が160kmに拡大され、電池の信頼性向上、モーターの小型・軽量化なども図られました。東京電力ではこの改良型EVを新たに10台導入し、業務車両としての適合性や急速充電器との整合性の確認など、より詳細な実用性評価を行いました。これらの実証試験を経て、ついに2009年、一般ユーザーに向けた「i-MiEV」が発売されることとなったのです。

充電スポットのサインを考案、拡充へ

東京電力とEVの歩みはクルマの開発だけではありません。2008年以降、特に力を注いできたのが充電スポットの拡充など、EVユーザーの利便性向上に貢献することでした。その取り組みのひとつが「CHARGING POINT」です。

「CHARGING POINT」とは、EVの利用者が外出先で迷わず安全に充電器を見つけられるように東京電力が作成した充電器の設置場所を示す全国共通の案内サインです。

CHARGING POINTのサイン

現在は多くの場所にEVの充電器が設置されていますが、2008年当時、公共の場所に設置されて誰でも利用できる充電器はほんのわずかでした。「充電器なんてほとんど見たことがない」という方も、EVに乗ってこの案内サインを探してみると、高速道路、コンビニ、道の駅、商業施設など、意外にもいろいろな場所にサインがあることに驚くかもしれません。

また、充電スポットをカーナビやアプリ、ウェブで簡単に確認できるサービスが充実してきたことで、さらに安心で便利なEVライフが送れるようになりました。

これからも東京電力グループとEVの歩みは続く

国の助成制度もあって充電器の設置場所は日本全国で大幅に増加しました。しかし、充電スポットの拡充だけでなく、EVやプラグインハイブリッド車の利用者が1枚のカードでどこでも充電できようなネットワークを構築できたらより利便性が高まります。そんな思いから設立されたのが国内自動車メーカー4社を中心とした合同会社日本充電サービス(NCS)です。

このNCSに2015年から東京電力も参画し、EVのさらなる普及を目的として、充電環境づくりを進めています。2021年4月よりNCSの事業について、東京電力ホールディングスの子会社である「株式会社e-Mobility Power」が承継し、リーズナブルで使い勝手のいい充電環境の提供に努めていきます。

いままでの100年を礎にして、東京電力はEVとともに次の100年も歩んでいきます。

この記事の著者
EV DAYS編集部
EV DAYS編集部