日本EVクラブ代表が見つめた「EVこの10年」

ジャパンEVラリー

電気自動車(EV)が日本で一般発売されたのは2009年。当時は充電環境もEVのテクノロジーも、今とは格段に劣るものでした。その当時からEV普及を目指してスタートしたイベントがあります。それが「ジャパンEVラリー」。本イベントを主催してきた日本EVクラブはどのようにこの10年を捉えているのでしょうか。日本EVクラブ代表の舘内 端さんに、イベント立ち上げの経緯、ユーザーから見た10年間の変化、そしてこれからのEVの未来について聞きました。

EVユーザーが“日本の中心”に集まる「ジャパンEVラリー」

イベントの様子

 

7月下旬。快晴のもと、長野県白馬村のジャンプ競技場の麓に、さまざまな車種のEVやプラグインハイブリッド車(PHEV)が集まりました。

「ジャパンEVラリー」は、2023年で10周年を迎えたEVイベント。プレイベントから数えると12年以上にわたって開催されています。まだ航続距離が短く、長距離ドライブに不安があった頃に、日本中から日本の中心(長野県白馬)にEVが一堂に集まることで、“使えない車”というレッテルをはがしたいという思いから企画されたそうです。

そもそも「ラリー」とは、本来「集合・離散」「結集」を意味する言葉。全国各地から集まることで、EVやPHEVの楽しさを満喫し、その魅力を世界に向けて発信することを目的に、このイベントは開催されています。

 

イベントの様子

日産、三菱、ホンダといった国産車からBMWまで合計9台の乗り比べができるEV・PHEV・FCV試乗会は大盛況。イベントは試乗会のほか、トークイベントやデジタルスタンプラリーなど盛りだくさんの内容でした。

 

会場でお会いする方は、みなさんいい笑顔をしているのが印象的。初回から参加されている方もおられて、かつてのEV旅の苦労話にも花が咲いていました。

「あのときは充電には苦労して…」と話されている姿を見ていると、ここ10年でのEVを取り巻く環境の変化が感じられます。

 

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日本EVクラブ代表が語る、EVの黎明期

舘内 端さん/日本EVクラブ代表、自動車評論家

舘内 端さん/日本EVクラブ代表、自動車評論家

 

イベントの中、お話を伺ったのが元レーシングカー設計者で自動車評論家、日本EVクラブ代表である舘内 端さん。「話せば長くなるけれど…」と笑いながら語ってくださったのは、ジャパンEVラリーの始まり、そして日本のEV普及に関する変遷の歴史です。

舘内さん「私とEVとの関わりは1992年に遡ります。その年のF1予選の解説を行うために、鈴鹿まで歩いていきました。89年に行われたハーグ環境首脳会議で、車によるCO2問題が深刻であることを痛感して、自分の問題として捉えようと。国道1号線を排ガスにまみれながら歩きました」

そのとき、表向きは「無冠の帝王」と呼ばれたナイジェル・マンセルを応援する、という名目でメディアを巻き込みながら、2週間かけて鈴鹿サーキットまで歩いたといいます。

舘内さん「何かの派手な名目がないと、誰も見てくれないですからね(笑)。そのときに歩いたことで車の排ガスのひどさを痛感しました。あまりにひどくて、途中で旧東海道に一度逃げてしまいました。『車に携わる人間として、どうすべきか』と悶々としたものです。鈴鹿まで歩いたすぐあとにレーシングカー・デザイナーだった小野昌朗さん(当時は東京R&D社長)に声をかけてもらい、紹介されたのが電気のスポーツカー、『IZA』でした。そこで早速試乗させてもらったところ、ピンときて、これからはEVしかない! という気持ちになりました」

 

IZAの写真

東京R&Dや明電舎と東京電力が共同開発した「IZA」。「EVの限界性能にチャレンジする」「EVのイメージアップを図る」という目的のもとで開発が進められ、最高速度176km/h、1回の充電での走行距離約550kmという走行性能を実現。

 

そのあと、舘内さんはEVフォーミュラーカーの製作を始め、94年にアメリカのEVレースに参戦。見事3位を獲得したのち、日本EVクラブを創設しました。「環境問題が“自分たちの問題”であることを認識するため、できることは環境に配慮した車を造ることだ」と考え、「EV手作り教室」を開催。その後、全国でガソリン車をEVに改造するコンバートEVを自作する人たちを応援。2001年にはメルセデス・ベンツAクラスを改造して日本一周、1万2000kmを走行したそうです。

舘内さん「それでも自動車メーカーもマーケットも動きませんでした。その頃は燃料電池車やハイブリッド車(HEV)が注目されていた時代で、EVに対する風当たりが強かった。『あんなの車として使えない』ってね」

2009年にはそんなネガティブな意見を覆すため、ダイハツ・ミラのコンバートEVで東京・日本橋〜大阪・日本橋までを11時間で走り切り、一充電走行としては当時世界一である555.6kmを完走。ギネス記録に認定されました。

 

舘内さん

画像提供:日本EVクラブ

 

「それでも、カーメーカーのEVネガティブキャンペーンは止まらないから、参りましたよ」と舘内さんは苦笑します。その頃に考え始めたのが、EVラリーだったそうです。

 

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EVラリー開始当時の充電環境「変化はすぐに訪れた」

2009年に「i-MiEV」(三菱)、2010年に「リーフ」(日産)が発売されて、EVブームが訪れるかと思いきや、なかなかムーブメントは起こらない状態だったそうです。そこで考えついたのが、「日本の真ん中にEVで集まろう」というイベントでした。

ちょうど、長野五輪を経て、環境にやさしい観光地として村を活性化しようと考えていた白馬村の動きと呼応する形で、2012年に前身となる「プレ白馬EVラリー」を開催。そして、2014年からEVラリーが本格的にスタートしました。

 

第1回イベントの様子

第1回イベントの様子。会場に2台の急速充電器を臨時で設置。充電しているのは、EVラリーの前年に「チャデモでつなぐ日本一周 EV急速充電の旅」を行ったEVスーパーセブンです。また、コンバートEVも参加していました。画像提供:日本EVクラブ

 

まだ市販の国産EVが2車種しかない時代、その頃のEVを取り巻く環境はどうだったのでしょうか。

舘内さん「EVラリーを始めた当初は、それは大変でした。当時の『i-MiEV』の実航続距離は80km程度、『リーフ』でも150km程度でしたから、『チャレンジ』『冒険』という言葉がふさわしいイベントで、EVラリーが始まってから数年は、会場での話題は充電の苦労話ばかりでしたね」

舘内さんの言うとおり、その頃の充電環境はお世辞にもいいとは言い難い状態でした。急速充電器が設置されていない高速道路も少なくありませんでした。

初回のジャパンEVラリーの参加人数は250人、参加台数は112台を数え、大規模なイベントになったものの、白馬村でも十分な充電を行えなかったようです。しかし、開催してからすぐに取り巻く環境は変化していったと言います。

舘内さん「まず変化したのは、白馬村の充電環境でした。宿泊施設20箇所に200V充電器が設置されました。これで目的地充電ができるようになったので帰りの100〜200kmの電気が確保でき、少しホッとしたのを覚えています」

補助金の後押しもあり、高速道路のサービスエリアやパーキングエリアへ急速充電器が次々に設置されていきました。そこから全国的に充電設備が右肩上がりに増えていくことになります。

〈図〉日本における充電器設置基数の推移

充電器設定数のグラフ

 

舘内さん「高速道路に急速充電器が設置されてからは、全国各地から安心して来られるようになりました。EVラリー開始から数年で充電の苦労話なんてなくなったんですよ(笑)」

ジャパンEVラリー初開催から4年後の2018年に充電器は全国で約3万基(うち急速充電は約7400基)に到達しました。この頃、EVの年間販売台数は2万6000台程度。EVユーザーの充電ニーズを十分に満たしている状態だったのです。

 

 

愛好者の中で普及した過去10年。これからの10年はより広がりを

コロナの影響により、参加者が少なくなる年もありましたが、ジャパンEVラリーは今年も変わらず開催されました。

 

EV気候マーチの様子

参加車両によるパレード「EV気候マーチ」。今年は55台の電動車が参加。「i-MiEV」や「リーフ」はもちろん、軽EVの「サクラ」や「eKクロス EV」のほか、「アリア」「ソルテラ」「Model X」「ATTO3」「e-208」「EQA」「i4」に至るまでさまざまな車種が見られました。

 

EVという言葉を耳にすることが増え、目にする機会も増えてきた最近の変化を、30年以上もEVに関わってきた舘内さんはどう見ているのでしょうか。

舘内さん「EVへのネガティブキャンペーンも減って、ここ数年でEVの販売台数も車種も増えましたが、中国やヨーロッパと比較すると、EVが普及していないのは明らかですよね。もちろん、自動車マーケットは『EVはダメだ』とは思わなくなったと言えますが、一方でまだEVの価格は高いので“買える人、買えない人”という差が出てきてしまいました」

とくに舘内さんが危惧するのは、国産EVの選択肢の乏しさです。輸入車の選択肢は増えていますが、「国産車が少ないのは厳しい。身近なディーラーが手頃な価格のEVを売るようにならないと、なかなか大きな市場にはならない」と語ります。

 

舘内さん

 

舘内さん「これからの10年は、愛好者だけでなく、日本中にEVが普及していく10年になってほしいです。これだけインバウンド(外国からの旅行者)が多いので、きっとこう言われるはずですよ。『なぜ日本はガソリン車ばかりなのか? EVはどうしてこんなに少ないのか?』と。そして、私たちは、日本はEV後進国であることを知らざるを得なくなるでしょう。カーメーカーはEVを生産することはもちろんですが、それを輸出するだけではなく、国内で売ることも本気で考えなくてはいけない段階に来ていると思います」

 

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日本でのEV普及には、抜本的な意識改革が必要

最後にEVの未来を、日本EVクラブの活動とリンクさせながら、舘内さんは語ってくれました。

舘内さん「これまでEV普及推進活動をずいぶん行ってきたのですが、もっと大胆な普及活動が必要だなと感じています。

たとえば、こんなことが考えられます。私たち国民が『これだ!』と思える理想のEVを世界のスタートアップと共同で作る。不要な機能、装備はゼロだから安い。このEVを『国民EVクラブ』の会員が購入するという『EV生協』的な運動です。あとは、EV以外は街に入れないようにする都市計画など別の方法でのアプローチも考えた方がいいと思います。ヨーロッパはすべてにおいて意識が違うので、見習うべきです」

一例として挙げてくれたのはパリのいわゆる「自動車追い出し政策」です。都市計画上、車線を少なくして、構造的に車が走りにくい状態にしたり、自転車のシェアリングなどを強力に推進しています。

 

シトロエンの小型EVアミ

 

 

また、「もう1回、人間はなぜ移動するのかを考えることも必要」と舘内さん。少し極端ではありますが、EVを本気で普及させるためには、根本的に車に対する意識から変革していくことが必要になってくるのかもしれません。そして、舘内さんはこう続けます。

舘内さん「ガソリン車に乗っている人は、自分の車がどれだけCO2を出しているのかを理解しておいてほしいです。1Lのガソリンを燃やすと、2.32kgのCO2が排出されます。年間にすると、1台で大体5〜6tのCO2を出していることになります。たとえば、車に乗るようになって私が出したCO2はトータルで186tです。自動車が排出するCO2は全世界のCO2の20%近くを占めます。2050年までにゼロCO2を達成しないとダメです。CO2を出しているのは自分だという当事者意識を持って、エンジン車からEVにシフトしてもらいたいですね」

環境問題を自分ゴトと捉え、それを実行に移すのはなかなか難しいものです。ただ、次の車への乗り換えの機会に「そろそろEVにしないと遅れるかな…」とEVを車選びの選択肢にしてみるのは、自分ゴト化するひとつのきっかけになるかもしれません。

 

この記事の著者
EV DAYS編集部
EV DAYS編集部